あえのみや
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 神仏ゆかりの地

 奈良時代の末、第49代の光仁天皇(709年〜781年)が病に臥せられた時、その夢枕に、白い髭の老人(ご神霊)が立たれ、自らが来られた場所を指し示されこの地に我を祀るように≠ニいうお言葉がありました。
 驚いて目覚められた天皇は直ちに使者を送られ、使者がその地を尋ねると、辺りに光を放つ山が在り、不思議な思いで佇んでいると、そこへ白い狗が現れ、山上へと導いてくれました。
 一行が山腹にさしかかった時の事です。山の何処からともなく、えも言われぬ美しい楽の音が聴こえてきたのでした。その山は、八つ尾山(現在の京都府亀岡市東本梅町大内区内)と呼ばれていたところです。
  使者は急いで都へ戻り、この不思議な出来事を天皇に言上すると、天皇は、「直ちにその地に社堂を建立せよ」とお命じなりました。
  天皇のご病気は程なく平癒され、やがて社堂が立派に完成されると、お堂の方は使者が聴いた美しい楽の音に因んで楽音寺≠ニ命名されました。(楽音寺は現在も村人の手で大切に受け継がれています)
  又、時を下って平安の後期、第72代白河天皇(1053年〜1129年)の夢枕に、そして、更に 下って、第77代後白河天皇(1127年〜1192年)の夢枕にも、同じ白い髭の老人姿のご神霊が現れ、この地への参詣を促されました。 この不思議な夢を期に両天皇は信仰を篤くされ、ご退位の後はこの地に住まいを移され、此処で亡くなられ、時を経てそれぞれ鶴頂陵(八つ尾山頂上付近に所在していたご陵)に葬られたと伝えられています。
  社とお堂は再興修復が重ねられ、以後、長い時代に亘って天皇家ゆかりの神宮寺として、毎年幣饌使が訪れ、幣帛と神饌が捧げられたと、亀岡市の郷土史に記されています。
  又、この地一帯はもともと多賀講の持ち山だった、とも記されており、仏典をお祀りし、多賀大御神をお祀りしている当宮が、この地に社を建立出来たのも、こうした深いご神縁、ご仏縁に因るものと思われます。

 

 
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